チベット文学の期待の若手人気作家の長編。
前半の舞台は、チベットの山奥の小さな村。
1980年代前半だが、電気もない村で半農半牧の生活。
村長の息子の“ぼく”、ちょっとお姉さんぶるセルドン、
やんちゃなタルペ、後に化身ラマになるニマ・トンドゥプ。
4人の幼馴染は、貧しくも幸せに暮らしていた。
そんな素朴な生活にも、徐々に近代化の波が押し寄せてくる。
後半の舞台は、おとなになった4人の話。
4人はそれぞれ、子どもの頃は思ってもみなかった道を歩んでいる。
誰もが挫折と孤独を味わい、本当にこれでいいのかと自らに問い続ける日々の中、やがて・・・
昔からチベットに興味があって、本や映画やTV番組など見まくってたので、
前半は面白くて面白くて。
自然や生活や風俗の描写、著者にとっては当たり前の日常だったのだろうけど、
それらが日常であるという感覚自体が面白くて。
しかも著者は私と同年代。
我々がファミコンで遊んでいた時代に、チベットではこんな生活をしていたのだなあ。
後半の、近代化した現代チベットの姿にはいろいろ考えさせられる。
特に現在の中国における、特定の民族に対する仕打ちを見聞きすると・・・。
チベットでもいろいろあったはずだ。
映画『クンドゥン』でも訴えられていた。
この小説に、そのあたりは一切触れられていない。
前向きに漢民族の行政や文化を受け入れている。
著者の立場を考えると、触れるのはタブーなのだろうな・・・。
ただ、変わりゆく故郷と、故郷を捨てた若者たちの葛藤が描かれるだけである。
それはそれで面白いのですが。
それにしても、このラストで終わるか。
確かにこの先を描いてしまうと興覚めになるような、でも読みたいような。
冒頭の絵地図で、空想をめいっぱい羽ばたかせて、
チベットに旅した気持ちになれる一冊。
↓↓広島ブログ、参加してます。一日一クリックお願いしま~す(^^)/
http://www.hiroshima-blog.com/wj.php?cd=01ix