「怒りの葡萄」スタインベック著、を読みました。
1930年代アメリカ。
1929年の世界恐慌以後、不作にも見舞われた小作人たちは、
人間味の欠ける奇妙な市場原理の下、生きるための土地を奪われた。
仕方なく彼らは家財道具を車に積んで、
仕事があるという西部、カリフォルニアへ旅をする。
そこに行けば金をもうけ、家も建てることができると夢見て。
しかし・・・
自分たちは仕事がしたいのだ。しなければ生きていかれない。
しかし労働者はあふれ、仕事は見つからない。
この賃金なら仕事はあるよ。
そんな賃金では食べていかれない。
じゃあよそに行きな。この賃金でも働きたい奴は他にもいる。
おかしいじゃないか!?
作物の価格を維持するために、立派な土地を休閑地にしている横で、
食べられる作物を腐らせていく横で、
俺の子どもは飢えで死んでいくんだ!
「そして人々の魂の中に、怒りの葡萄がふくらみ始め、
収穫の時を待ちながら、しだいに重たげに実ってゆく」(本文より)
市場原理という人間の作り出したものが、人間を殺してゆく。
人間は、決して罪深く、愚か極まりない存在ではない。
実際彼らは体験する。人間の奥深さと可能性を。
ただそれよりも、今力を持っている者たちが強すぎるのだ・・・。
日本はもちろん、まだここまでひどくはない。
だが、今の社会の変化を見ていると、これが対岸の火事だと誰が言えるだろう?
この話が、1929年の世界恐慌以後の社会を描いていると知った時、
先日、アメリカ某社が倒れたことが引き金で、世界経済に影響が出始めていると、
ニュースで言っていたことを思い出した。
もしも世界恐慌がまた起こったら、彼らの悲惨さは他人事ではなくなるのか・・・?