「志和堀DNA」レポ続き。
現代美術というやつは、とにかく意味が分からない。
なんじゃこら?と思うことしばしば。
そういうアートは基本あまり好みじゃないのですが、今回の試みは良かったです。
訳分からなさが、町に溶けこむことで、想像をかきたてる感じ。
下の作品は、ぼろぼろになった倉庫を使ってます。
天井から吊るされた複雑なモビール。無数の白い物体や小さな石(おもし?)が、吊るされてます。
立派な家が多いと書きましたが、最近ではめったに見られない、かやぶき屋根の家も何軒もありました。
あれ?軒下に白いぶつぶつのついた妙な物体が・・・。
これも展示作品のひとつ。
空き地にはこんな展示も。
様々な色合い・濃淡のブルーが綺麗。お気に入り作品のひとつです。
次の作品はすごかった。
この季節は使われておらず、骨組みだけになってるビニールハウスの中に、
びっっっっしり、縦横、ビニール紐が結びつけられている。
よくやったよなあ・・・。
どこかがうっかりほどけても、途中で中の方に入って直すってことができないよなあ、これ・・・。
ある作品は、狭く危なっかしい石段を上った先にある神社に展示されてました。
小高い山の上にあり、ゼェハァ言いながら上った。良い運動になりました。
下の写真は石段の上り口。
神社の裏手は、樹齢を重ねた木がそそり立つ鎮守の森となっていました。
しん、とした空気。
私たちはさっさと早足で見てまわったつもりなのですが、それでも2時間以上かかりました。
充実した時間でした。
自分もいずれ、過疎の町に住む予定なので、地域活性化策として今後の参考にメモメモ。
志和堀というところは、自転車に乗った中学生男子が、きちんと挨拶してくれる土地柄。
小学校の近くを通った時、そのへんで遊んでいた小学生女子に、こんにちはと挨拶したら、
「どこに行くんですか?」と自然に話しかけてくる土地柄。
私の実家は田舎だから、挨拶は当然してたけど、見知らぬ人に話しかける気さくさはなかったな。20年前でも。
自分の中にも、メディア情報を基にした、“今どきの子ども”像が勝手にできあがってしまってたので、
その像とのギャップに驚きました。
この雰囲気をなくさないでほしいものです。
(でも最近は、田舎にも悪い人がいたりするから気をつけてほしい。難しいな)
「志和堀DNA」は27日まで。
歩きやすい靴は必須。