その日暮らし

精神的その日暮らし

風車祭(カジマヤー)

はう!もう一ヶ月近く本の感想上げてない!
読んではいるんですけども。
小説・エッセイ以外だと、書きにくいので書いてない。
てなわけで久しぶりですが、この本も面白かった!!

風車祭(カジマヤー) (文春文庫)

風車祭(カジマヤー) (文春文庫)

時は現代。所は石垣島
今日はフジオバァの風車祭(カジマヤー)の日である。
カジマヤーとは97歳の長寿を、島をあげて祝う祭りのこと。
フジはこの日のために生きてきた。長寿こそが彼女にとっての幸福なのだ。
しかしフジは知っている。1750年に生まれた女、ピシャーマのことを。
高校生の武志、睦子、幼い郁子も知っている。
いなくなったピシャーマのことを、6本足の洗濯豚のことを。
そして思いは、一年前にさかのぼる・・・





この作者のすごいところは、
まるで島の空のように、どこまでも突き抜けて楽しく前向きに生きる人間を、描ききれるところだと思う。
これは簡単そうでいて、意外と難しい。
そして、突き抜けきっているからこそ、
想像を超えた性悪オバァなフジも、決して憎めない。(実際に身近にいたらたまらんけどね!)
危機意識がなくもどかしく、思わず「気付けよ!」と叫びたくなる島人たちも憎めない。





多用される方言がええです。
方言とは違うかもしれないけど、「だからよー」という言葉が効いてる。
「だからよー」は
『当事者意識のない無責任な肯定または否定』(本文より)
であり、日本語には訳せないものだそうだ。
遅刻して理由を尋ねられても「だからよー」でオッケー。
うまく答えられない時は「だからよー」でごまかせばオッケー。
確かに本土の人間には、受けつけられない言葉だろうなあ。
私も無理。怒るわ。
でもこれが容認される社会は、生き易いかもしれないと思う。





ネットで読んだインタビューや、作者の後書きを通して、
この小説には、小説内に現れている以上に、作者の想いが詰まっているのだと知った。
過去に見てきた島、そして現代の島に対しての想い・・・。
作者は実際にマブイ(魂)を落としたことがあるという。
1970年生まれの作者が。現代人がねえ。
実際にマブイがあるのだとしたら、では落としてもすぐには死なないマブイとは何なのか。
マブイがなくても生きている肉体とは何なのか。自分は何なのだろうか?





神と人間が自然に同居している島のあり方、
おそらく実際の島の姿とは異なるのであろうけども・・・
こんなあり方には憧れる。
神(というより宗教)にがんじがらめにされるのは馬鹿馬鹿しいが、
神(宗教というより・・・なんだろう?)と共に暮らすことは、好ましい生き方なんだろうなあと思う。





追記。
☆「だからよー」を私が使うなら(間違ってたらごめん)
パンダ「最近パン屋とかカフェとか行きすぎじゃない?」
私「だからよー」(これでこの会話終了。私の行動何も変わらず)







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