その日暮らし

精神的その日暮らし

人はひとりで死ぬ

人はひとりで死ぬ 「無縁社会」を生きるために (NHK出版新書)

人はひとりで死ぬ 「無縁社会」を生きるために (NHK出版新書)

タイトルは「人はひとりで死ぬ」
副題は「〜「無縁社会」を生きるために〜」です。



無縁社会」「無縁死」「孤独死」・・・。
そんな言葉が定着し、マスコミは絶望を漂わせて取り上げ、人々は恐怖を抱いている。
しかし「無縁社会」は本当に否定すべきものなのだろうか。
孤独死」はそれほど絶望的なものなのだろうか。
著者はその根本から、問いを示す。



高度経済成長期、人々が田舎から都会へ大挙して移動してきたのは、
田舎の「有縁社会」の煩わしさを嫌ったせいではなかったか。
「無縁」とは自由をも意味する。
現在、「無縁社会」が恐れられる一方で、未だ「有縁社会」を営んでいる田舎からは、どんどん人が出て行っている。
私の住んでいる地区は、ばりばりの「有縁社会」だが、若い人は戻ってこない。
有縁社会はとにかく面倒だ。
誰か死んだら、仕事など放り投げて数日間葬式の手伝いに働かなければならない。
いつも突然のことなので、仕事のやりくりは厳しい。しかし仕事を優先したら、白い目で見られる。
以前から計画していた海外旅行?もちろんキャンセルである。
一人暮らしの年寄り家庭でも、誰か人手は必ず出さないといけない。
遠くに住む子や孫を呼び寄せるか、頭を下げて近所の人に頼むか。
消防団、各種当番、お寺の行事、神社の行事、その他の行事、山ほど待っていて休日はつぶれる。
私はできれば、こんな有縁社会には暮らしたくない。
年寄り以外の多くの人もそう考えるから、田舎に戻ってこないのだろう。
つまり「有縁」とは束縛であり「無縁」が自由だと考えているのだ。
ならば「無縁社会」「無縁死」は必然の結果なのである。



一方、著者は言う。
そもそも、社会は本当に「無縁社会」に向かっているのか?
「有縁社会」を、昔ながらの村社会(私が住んでる地区のような)と定義するなら答えは“是”だが、
現代に沿った新しい形の人間のつながりをも「有縁社会」とみなすなら・・・
答えは“否”ではないだろうか。



根本的な発想の転換を促す本で、なかなか参考になった。






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